土田ヒロミ「アサヒカメラ増刊 ヒロシマ」

福井県生まれ。6才の時に終戦を迎える。福井大学工学部に入学し、買ってもらったカメラを手にして写真クラブに入る。卒業後、ポーラ化粧品の研究所勤務。仕事をしつつ、夜は専門学校に通い写真を本格的に学び始める。宣伝部に移動させてくれないと会社辞めると直談判して、社内報などの取材や撮影を仕事にする。71年に退社してフリーカメラマンとして活動を始める。「自閉空間」にて太陽賞受賞。ブレボケの流行に合わせてイメージ過多の写真にハマったりしたが、初心にもどり記録に徹するようになる。
75年より「ヒロシマ1945~1979」撮影開始。ライター吹上流一郎氏とともに、『原爆の子』(岩波書店)に被爆体験記をよせている107人の30年後を訪ね歩き始める。「ヒロシマ1945~1979」で第3回伊奈信男賞受賞。
76年には代表作となる写真集「俗神」を発表。
79年には被爆してなお残る街中の風景を記録した「ヒロシマ・モニュメント」、広島平和記念資料館に収納されている被爆資料、遺品を撮影した「ヒロシマ・コレクション」の撮影開始。
この本は、83年にヒロシマシリーズ3作をまとめられたもので、アサヒカメラ増刊として発行されたもの。翌年、第40回日本写真家協会年度賞受賞。写真集としては85年に佼成出版社から発行されている。
「俗神」では68-75年高度経済成長下の日本で残る土着宗教や祭など風俗や人間を被写体とし、このヒロシマでは人、物、風景を被写体とし、2001年には「The Berlin Wall」でベルリンの壁を被写体にしている。記録的な手法で撮る写真から、モノからコトを伝えるというか、物に語らせる表現手法の写真家なんだと思う。写真で「ヒロシマ」と言えば、誰しも土門拳を思い浮かべるかもしれない。土門拳氏の写真は圧倒的であり写真ですべてが完結するリアリズム写真の真髄であろう。対して、土田氏の写真は圧倒的というよりも、淡々としつつ被写体と同じ立ち位置で写真を撮っているような気がする。そして見るものに写真には写っていないものを考えさせる行間のようなものがある。
記録的な手法の写真でも、撮影者のアプローチの仕方はいろいろである。