中平卓馬「都市 風景 図鑑」

東京外大スペイン科卒業後、雑誌「現代の眼」で寺山修司や東松照明の担当する。1968年に高梨豊・多木浩二らと写真同人誌「プロヴォーク」創刊。73年頃、自らの表現を自己批判し、ネガやプリントをほとんど焼却する。77年、急性アルコール中毒で昏睡状態となり記憶喪失となる。回復したものの言語能力と記憶に障碍が残る。プロヴォークに途中から参加した森山大道とは盟友ともいえる存在。この写真集は1964-1982年までの、プロヴォーク時代から復活後の作品を集めた写真集。当時掲載された雑誌等を複写というかたちでまとめられている。
彼が編集をやっていた「現代の眼」はいわゆる総会屋雑誌といわれる雑誌で、発行元は児玉誉士夫とかにも繋がる総会屋なのであるが、雑誌の編集や内容自体は左翼系であり、当時の学生運動などやっていた人々の多くが毎号チェックするような、左翼的評論のしっかりした雑誌であった。また、多くの評論家の登竜門としての存在価値があった雑誌である。株式総会の健全化を目的とした81年商法改定により、総会屋の活動が困難になり、この雑誌も広告収入というかたちでの資金集めが難しくなり休刊になった。
彼はこの雑誌で写真ページをもつようになり、それが写真に興味をもったきっかけとなる。言葉の人がふとしたきっかけで写真と出会ったかたちである。その後、朝日ジャーナルやアサヒグラフ、映画批評などで写真を発表する。70年に入ると、アサヒカメラなど、当時の写真家としての主流とされる活動場所に登場するようになるが、そういう面では異色のスタートを切った写真家だった。
で、77年の記憶喪失とその後の障碍。そのことによって途切れたものと続いているものとを感じ取れるように、この写真集では82年までの写真が掲載されている。